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卒業生インタビュー

盛川 志保さん:帯広協会病院勤務

盛川 志保 北海道看護専門学校2019年卒業 進学・教養コース 2016年卒業 帯広協会病院勤務 令和2年6月取材

 白樺学園高校への入学を決めたのは白樺学園に通っていた姉が充実した学校生活を送っていたのを間近で見ていたことと、男子バスケットボール部のメンバーから「一緒にチームを強くしよう。」とマネージャーとして誘われていたことがきっかけでした。マネージャーの仕事はとても大変でした。早朝からの練習があったり、週末は大会や遠征があって休む暇もなかったからです。それでも、チームメイトに頼られることでマネージャーとしてのやりがいを感じていました。自分がプレーヤーのためにプレーに集中できる環境を作ってあげることで、技術が向上していくことが嬉しかったです。  看護師になりたいと思ったのは幼稚園の頃からで、脳性まひを持つ兄と看護師の関わりがあり、身近な存在に感じ、憧れを抱くようになったからです。高校生になり、母ががんを患ったことでさらに看護師と関わる機会が増え、憧れが目標に変わりました。看護師になって、人を助けたい、病気のことをもっと知りたいと思い、北海道看護専門学校を志望するようになりました。進路活動は特に小論文の勉強が印象に残っています。国語の齊藤先生を探してはつかまえて、質問をしたり、問題を出題してもらっていました。白樺学園高校の先生の良いところは、がんばっている生徒には徹底的にサポートをしてくれるところだと思います。朝の7時半から学校に来て朝講習をしてくれたことも、とても受験に役立ちました。

 専門学校時代は実習・テスト・授業の毎日で、正直めちゃくちゃ辛かったです(笑)国語と数学はもっと勉強しておけばよかったと思っています。特に国語に関しては、日々の実習の記録の書き方に大きく影響してくるので、語彙力がないと相当大変です。毎日つらい勉強の日々を乗り越えられたのは、高校時代のマネージャーの経験があったからだと思います。忍耐力、精神力は鍛えられていたので。それでも、北海道看護専門学校には優秀な生徒が集まるので、切磋琢磨して勉強をがんばってきたのでとても充実感を持って過ごした3年間だったと思います。  看護師として働いて2年目、外科を担当しています。消化器がん患者さんや乳がん患者さんのケアをしています。手術前後の精神的なケアや薬の説明をしっかりできるように心がけています。手術後の合併症のリスクの説明についてや、創部の観察には特に気を遣っています。2年目になりましたが、技術と知識が身についていることが実感できるときにやりがいを感じます。患者さんに不意に質問をされてもすぐに回答できるようになりました。1年目のときは「ちょっと確認してきます。」が多かったけど(笑)。今は先輩から頼られることが多くなってきています。緊急手術、緊急入院の対応も任されるようになりました。  高校生の時にバスケ部のメンバーが帯広協会病院のスポーツ外来でお世話になっていたことや、母のがん治療の関係で「帯広協会病院は良い病院だよ。」と母から言われていたこともあって、帯広協会病院の奨学金制度を利用して専門学校に通いました。母のがん治療のこともあり、金銭的には大変でしたが、看護師として働きたいという思いがあれば、私のように奨学金制度を利用して学校に通えるので、看護師を志望しているみなさんには諦めないで目標に向かってほしいです。帯広協会病院、素敵なところですよ。

澤尻 磨里英さん:中札内村立中札内小学校勤務

澤尻 磨里英さん 八戸学院大学2020年卒業 体育コース 2016年卒業 中札内村立中札内小学校勤務 令和2年6月取材

 養護教諭として中札内小学校に勤めてからは勉強の毎日だと実感しています。特に今年度は新型コロナウイルスの影響で各研修会が中止となり、情報収集が困難な状態となっています。また、本来であれば新任の養護教諭には、定年退職された先生が指導をしてくれるのですが、それも先延ばしになってしまいました。ですから、養護教諭としての仕事を自分の力ですべてこなさなければなりません。そのような中、中札内小学校の先生方にアドバイスをもらいながら、子どもたちと向き合っています。子どもたちとの関わり方や話し方など、いつも参考にさせていただいています。メンタル面でもアドバイスをもらっていて、アメリカ人ALTには「プラス思考」を学ばせてもらっています。「あなたならできるって信じてる。」「今回失敗しても次はがんばれる。」と言ってくれてとても励みになっています。

 養護教諭を志したのは高校2年生の時でした。漠然と教員になる夢を持っていましたが、体育の授業にはそれほど興味がなかったし、国語教員もいいかなと考えたりもしましたが、養護教諭ってかっこいいなと、ふと魅力を感じ始めました。周囲には養護教諭を志望する友人はいなかったので、もしかしたら私がスピードスケートというマイナーな競技に打ち込んでいたからか、人と違う道に進みたかったということもあるかもしれません(笑)。大学は八戸学院大学に進学しました。スピードスケートと養護教諭の勉強の両方ができる大学が八戸学院大学だったので選びました。4年間スピードスケートに打ち込みながら養護教諭の勉強をすることができました。特に教育実習で小学校を訪れてからは、応急手当や子どもたちの心のケアなど、自分が勉強してきたことが重要なのだと実感し、さらに勉強への理解度が増したように感じました。

 白樺学園高校に入学したのは、スピードスケートの指導をしてくれた恩師の母校だったことが理由です。スピードスケート部の活動はとても大変でした。朝4時に起床して、朝練習、放課後の練習は夜の8時まで行っていたので家族といるよりも長い時間を過ごしました。3年間伝統ある白樺学園のスピードスケートに全力を注いで打ち込んでいたおかげで、高校を卒業する時には、次は養護教諭の勉強に力を入れて取り組もうという覚悟ができました。冬期間は小学校でスケート少年団での指導も任されたのでがんばります。

中札内小学校の教頭先生から
「澤尻先生は新任とは思えないくらいしっかりと仕事をしてくれたり、生徒と親身になって向き合ってくれるのでとても信頼しています。」と評価してくれていました。

佐藤 優太 さん:明治大学

寺町あずさ(士幌中央中学校出身)北海道教育大学函館校1年(地域創生専攻)

私は三年間、白樺学園高校の生活で、多くの人と出会い。数多くの良い経験をすることができました。幼い頃からずっと野球が好きで、中学三年生の夏に、白樺学園高校野球部で野球をしたいと思い、白樺学園高校への進学を決めました。
体育コースへ入学して、まず一番に、周りの人たちの身体能力の高さに驚きました。

ほとんどの部活がトップレベルに近いほどの成績を残していました。クラスでは、賑やかな毎日が続いて楽しい毎日でした。スポーツをやっているだけのことはあり、そういった賑やかな中にも、授業と休み時間のメリハリもついていて、勉強もしやすかったです。

部活動は、高校生活の中で一番大きな存在でした。二年生の夏には、憧れの舞台である全国高等学校野球選手権大会に一番セカンドで出場し、一回戦【鳥取商業】、二回戦【智辯和歌山】共に延長戦という熱戦を繰り広げることが出来たのは、私の人生の中で、一生忘れられないものです。三年生となり、最後まで甲子園を目指してがんばりましたが、最後の夏は甲子園に行くことはできませんでした。最後に指導者に野球の成績で恩返し出来なかったことは、今でもとても悔しいです。

しかし、三年間共にしてきた、野球部の仲間、指導者、両親、白樺学園高校に来たからこそ、出会えた人がたくさんいました。多くの方が、私を支えてくれたり、アドバイスをくれたりなど、これからの私の『道』を切り開いてくれました。そういった方々がいたからこそ、東京六大学への進学も決めることができました。

これから私は、野球でも、勉強でもさらに上を目標とし、明治大学へ進学します。今まで教わったことを生かして、しっかりと努力を積み重ねていきたいと思います。大学では、私の人生において極めて重要な場所になると思います。まずはプロ選手を目指すと共に、教員免許取得を目指して頑張っていきます。

私は三年間、野球に関しては、誰よりも努力してきたと思っています。それは、それだけ白樺学園高等学校が努力できる良き環境が整っていたからだと思います。だからこそ白樺学園高等学校で過ごした三年間を、私は誇りに思います。

手塚 史明 さん:札幌大学経済学部 4年 サッカー部 DF 3番

手塚 史明 さん:札幌大学経済学部 4年 サッカー部 DF 3番

サッカー部に所属していた手塚史明です。卒業後は札幌大学に進学し、現在はサッカー部で副主将を務めております。

私のいまの夢は、これから迎える全日本大学サッカー選手権大会で全国制覇をすることです。来春からは社会に出て大人達の仲間入りをする私には、本気で何か好きなことに取り組み、挑戦できるのはこれが最後なのかなと感じています。サッカー最弱地区と言われている雪国北海道のサッカーがどこまでやれるのか、自分自身の力がどこまで通用するのか、不安よりも楽しみな気持ちでいっぱいです。

北海道の中ではありますが、いまこうやってトップチームの環境でサッカーをやれているのは、監督の二川先生をはじめ、担任でサッカー部の部長でもあった吉田先生の後押しがあったからだと思っています。高校まででサッカーにはケジメをつけようか、更に上のレベルにチャレンジしようか悩んでいた私に前に踏み出す勇気をくれた二人には本当に感謝しています。
入学当初、特に注目されていた選手ではなかった私は周りに埋もれて、うまくいかない自分に毎日モヤモヤしていました。そんな中でもAチームに召集されたことがあり、そのときばかりはとても嬉しかったのを覚えています。もちろんうまくいくわけもなく足を引っ張るだけで悔しい思いをしたのですが、それと同時に上のレベルでやる楽しさ、やり甲斐をここでは知る事ができました。

3年目の選手権では、二川先生に全道大会で初勝利をプレゼントすることができたのと、帯広開催で試合会場が学校の隣という事もあり、全校応援で白樺学園全体からエールを送ってもらいました。ベスト8という結果で終わってしまい期待には応えられませんでしたが、貴重な経験をさせえてもらったことにサッカー部全員が感謝しています。

サッカーに情熱を注ぎ、私たち生徒のことに真剣に悩んでくれる先生方に出会えたこと、同年代の輝く仲間たちに出会えたこと、毎日切磋琢磨しあえる仲間がいる白樺学園にきて本当に良かったと思います。

私はこれからの夢に向かってエンジン全開で突き進んでいます。未熟ながらも、がむしゃらに頑張ることで後輩たちに何か夢や希望を与えられれば良いなと思います。

小西 康道 さん:東海大学 体育学部 4年

小西 康道 さん:東海大学 体育学部 4年

私は2009年に白樺学園高等学校を卒業し、現在、神奈川県にあります東海大学4年生の小西康道と申します。陸上競技の走幅跳という競技を行っています。
私の高校生活は「夢」というものが芽生え、「仲間」の大切さに気付かされた三年間でした。

中学時代は全国大会に出場することはできましたが、全国の舞台で勝負するにはまだ力が足りないレベルでした。その理由として、中学時代はまだ陸上に対して本気になれていない自分がいたということです。
しかし、高校に入学して、同期に同じ走幅跳をやっていて、中学時代から全国で活躍している、目標でありライバルである皆川という選手と出会い、同じ環境の中で練習を積んでいく中で、日々、互いに動きを見合い、練習の中から質の高い練習を行い、お互い負けず嫌いであったため、相手より少しでも強くなろうと、時には居残りで練習を行い、時には隠れて練習をすることもありました。
陸上競技部の顧問である奥泉先生からも熱心な指導を受け、全ての競技の基本でもある走トレーニングや体幹トレーニングを中心に身体の土台となる部分を指導していただき、その土台があるから今の自分があると思います。また、時には厳しく、時にはみんなを笑わせてくれる発言もあり、選手と先生の信頼関係が良好であったことも成長につながっていると思います。

その環境の中で順調に記録も伸び、二年生のときにインターハイという高校生最高の舞台で皆川が優勝、私が準優勝し、ワン・ツーという結果を残すことができました。個人的な成績では、インターハイ前にチェコという国で行われた17歳以下の世界大会(世界ユース選手権大会)の日本代表に選出していただき、優勝することができ、「全国」ではなく「世界」という舞台を初めて経験し、優勝することもでき、大きな自信を得るとともに、「オリンピック」という夢が目標に変わりました。

3年生に上がり、最後のインターハイは過去に例がない二年連続のワン・ツーを目標に挑みましたが、皆川は二連覇を果たしましたが、私は6位という悔しい結果に終わりました。しかし、二日後に行われた三段跳という種目で優勝することができ、2人で全国の頂点に立つことができました。この結果は私一人では絶対に達成できていなかったと思うし、今まで一緒に練習してきた仲間や大声で応援してくれる仲間、身近にライバルがいたから常に危機感を持って成長できたのだと思います。

高校を卒業し、今年のロンドンオリンピックを目指して、トレーニングを行ってきて、オリンピック参加標準記録の8m10という記録まであと15cmに迫る7m95まで記録を伸ばすことができ、始めた当初は憧れであり、夢でしかなかったオリンピックという舞台が手の届くかもしれない目標へとなりました。しかし、ケガなどが重なり代表選考会である日本選手権では結果を残すことができず、オリンピックという夢の舞台への挑戦が終わりました。

4年に一回のチャンス、一生のうちに挑戦することができるのは2~3回しかなく、また次のチャンスは4年後。ロンドンオリンピックをテレビで観戦していると、オリンピックに対する憧れや夢が溢れでてきて、4年後を目指そうと決意しました。卒業後は東海大学の大学院へ進学し、もう一つの夢である「教員」を目指し、勉強と陸上競技の両立をしていきたいと思います。

最後に、私が皆さんに伝えたいことは、まずは日常生活を疎かにしないということを一番に伝えたいと思います。一見、スポーツと日常生活や勉強の何が関係あるのか?と思うかもしれませんが、言葉では伝えることができませんが、実践したら自ら感じることができるはずです。

誰かが見ているからやるのでは意味がありません。誰も見ていないときこそ努力することが勉強にもスポーツにも必要だと思います。そして、目標や夢を持つこと。最初は実現することが困難なことかもしれません。実現することができないことかもしれません。しかし、その目標に向かっていく過程というものが大切で、その後の人生に絶対に役立つはずです。また、仲間や支えてくださっている人に感謝することも大切です。

今、自分がここにいることができるのは家族の支えや仲間がいるからだと思っています。謙虚な気持ちと感謝の気持ちは忘れてはならないことです。

三田村 康平 さん:王子イーグルス FW 10番

王子イーグルス FW 10番 三田村康平

王子製紙アイスホッケー部(王子イーグルス)に所属しております三田村康平です。

今の自分があるのも南町中学校から、白樺学園高校に進学し過ごした3年間が基盤となっていると言っても過言ではないと思っています。まず、高校時代は湊谷先生指示の下がむしゃらに3年間アイスホッケーに取り組むことができました。また、アイスホッケーを通して人間性も学ぶことも出来ました。今でも湊谷先生には感謝しています。そして、やはり2年、3年時に最高の仲間たちとインターハイ連覇を達成できたことが思い出として残っていますし、誇りにも思っています。

高校卒業後は、幼い頃から憧れていた夢であった王子イーグルスに入部することが出来ました。入部当時は右も左も分からずただ練習について行くのがやっとでしたが、1年目の後半から少しずつ起用してもらいトップリーグのスピードに慣れることが出来ました。

2年目のシーズンは、スタートから主力で起用してもらいましたが、まだまだ先輩たちに助けられながら必死にパックに食らい付くホッケーしか出来ませんでした。

そして、3年目のシーズン。2014年冬季ソチオリンピック1次予選が日光市で行われることが決まりました。それに伴い個人目標が今年は2つできました。1つ目はやはり王子イーグルスで主力として活躍し優勝することですが、もう一つは「日の丸」を背負い日光で行われるオリンピック1次予選に日本代表として選ばれること、そして最終予選進出に貢献するという目標でした。11月に行われた予選では最終戦のイギリスに破れ最終予選には進出することは出来ませんでしたが、今後も「日の丸」を背負ってプレー出来たことを糧にしアジアリーグ、全日本選手権に全力で挑んで行きたいと思っています。昨シーズン達成したアジアリーグレギュラーシーズン1位とプレーオフの制覇を目指し頑張ります。

アイスホッケーというスポーツはまだまだ人気のあるスポーツではありません。これからも全国でアピールを行い競技人口が増えてくれればと個人的にも思います。それには、僕たちトップリーガーがオリンピック出場を果たさなければならないと思っています。使命とも思っています。

これからも、ファンの皆さんに夢や希望を与えることが出来るようエキサイティングなプレーをお見せしますのでアジアリーグ観戦にリンクに足を運んで頂ければと思います。そして、王子イーグルスにも絶大なるご声援をよろしくお願い致します。

寺町 あずさ さん:北海道教育大学函館校1年(地域創生専攻)

寺町あずさ(士幌中央中学校出身)北海道教育大学函館校1年(地域創生専攻)

私は北海道教育大学函館校の地域創生専攻に合格しました。

私はこの大学に入りたいという思いを常に持ち、毎日面接練習をしていました。 試験の日が近づくにつれ、思うようにできないことも多くあり大変でした。 ですが、入試の日には自分でも納得のいくものが出来ました。 先生方を始め両親や友達の応援や支えがあり、大学に合格出来たと思っています。

私を支えてくれたみなさんに「ありがとう」の感謝の気持ちでいっぱいです。 私は将来、社会福祉の資格を取得し、地域の人々と交流をもつ仕事をしたいと思っています。
そのためにも大学でしっかりと学んでいきたいです。 4年間充実した楽しい大学生活を送っていきたいです。

細田 健斗さん:警視庁内定

細田健斗さん

私は、警視庁に内定しました。

高校時代は3年間バスケットボール部に所属し、挨拶を始め、礼儀や仲間の大切さを学びました。
また、勉強面でも文武両道を掲げ、夏期公務員勉強合宿や放課後学習、面接練習などに参加、 家庭学習も欠かさず行いました。
その結果、難関と言われる公務員試験を突破し、警察官になる事ができました。これは、私の力だけでなく、どんなときも支えてくれた両親、先生方、友人たちの応援のおかげです。

今後の抱負としては、町の人から信頼され、一つひとつの行動に責任をとれる警察官になりたいと思っております。

  

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